ねねの道は誰の正室にちなんで名付けられたか?京都検定3級過去問!

【問題】東山の高台寺から円山公園へと続くねねの道は、誰の正室にちなんで名付けられたか。

(ア)明智光秀

(イ)織田信長

(ウ)豊臣秀吉

(エ)徳川家康

京都・観光文化検定試験 第12回 3級 第76問

【正解】

(ウ)豊臣秀吉

 

丸暗記しましょう!

東山の高台寺から円山公園へと続くねねの道は、 豊臣秀吉の正室にちなんで名付けられた。

 

ねねの道

高台寺の西側の道路が生まれ変わった。

この地で19年の余生を送った北政所ねねにちなんで「ねねの道」と名付けられた。

最近まで、高台寺道として知られていたが、電線地中化工事を終え、広い道幅いっぱいに御影石を敷き詰めた石畳の道に整備したことで、京都らしい風情の景色と名が生まれた。

北側の円山公園から祇園閣の角を曲がるとその両側にいくつもの寺院と、洒落た店が建ち並び、高台寺への上り口がある。その向かい側にはショッピングを楽しめる京・洛市「ねね」がある。

ねねの道を抜けて東へ行けば、坂本竜馬の墓がある維新の道。そのまま南へ向かえば、二年坂・産寧坂を経て、清水寺へと続く

(出典元)祇園商店街 振興組合

〒605-0825 京都府京都市東山区下河原町

■高台院

戦国時代(室町時代後期)から江戸時代初期の女性で、豊臣秀吉の正室である。杉原(木下)家定の実妹であるが浅野家に養女として入る。

秀吉の養子となって後に小早川家を継いだ小早川秀秋(羽柴秀俊)は、兄・家定の子で彼女の甥にあたる。

一般には北政所(きたのまんどころ)という通称で知られる。

「北政所」と呼ばれた人物は歴史上数多く存在したが、彼女以降はこの通称は彼女と不可分のものとして知られるようになった。

諱には諸説ある。一般的には「ねね」とされるが、夫・秀吉や高台院の署名などに「おね」「祢(ね)」「寧(ねい)」という表記があるため、「おね」と呼ばれることも多い(諱についての論議参照)。また甥にあたる木下利房の備中国足守藩の文書『木下家譜』やその他の文書では、「寧」「寧子」「子為(ねい)」などと記されている事から「ねい」説もある。

出典元ウィキペディア

(出典元 ウィキペディア)

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