高山彦九郎 京都・観光文化検定三級に一発合格するポイント

「寛政の三奇人」の一人の高山彦九郎の望拝像は、(                         )の地上にある。

(ア)京都市役所前駅       (イ)国際会館駅

 (ウ)京阪三条駅             (エ)山科駅

京都・観光文化検定試験 第11回 3級 第96問

正解(ウ)

「寛政の三奇人」の一人の高山彦九郎の望拝像は京阪三条駅の地上にある。

■↓右手に見えるのが三条京阪駅への出入り口の階段です。
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京都府京都市三条大橋東詰(三条京阪)に皇居望拝(誤って土下座と通称される)姿の彦九郎の銅像がある。初代は1928年に作られ、法華経と伊勢神宮で入魂した柱が納められ、東郷平八郎が台座の揮毫をした。しかし、1944年11月に金属類回収令で供出され、現在の銅像は1961年に伊藤五百亀によって再建されたものである。2代目は若干西に移動し、初代の台座跡には「高山彦九郎先生銅像趾跡記念碑」が建てられている。

(出典元 ウィキペディア)

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高山彦九郎とは?(出典元:太田市立 高彦九郎記念館)

高山彦九郎は上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市細谷町)で生まれた、江戸時代中頃の勤王思想家で、幕末の勤王の志士たちに大きな影響を与え、明治維新を導いた人物です。

生涯を旅に過ごし、京都・江戸・郷里を拠点に全国各地を遊歴、公家・武士(大名・家老・諸藩士など)・学者(国学者・儒学者・蘭学者など)・文化人(画家・歌人・俳人など)・剣術家・神官・商人・農民など様々な階層の人々と交流、その様子を地域の歴史・地誌・習俗・民情などとともに克明な日記に記録しています。

第2次世界大戦以前は彦九郎の一側面が強調され、小学校の教科書にも載っていましたが、現在では、一部の高校日本史教科書に取り上げられているだけで、多くの人から忘れられてしまっています。

彦九郎は時代によって人物評価が著しく変わりましたが、太田市では平成5年(1993)の高山彦九郎没後200年記念事業実施を契機として、その人物像を現代的に再評価する機運が高まり、平成8年(1996)5月に太田市の施設として高山彦九郎記念館が開館しました。そして、平成9年(1997)5月には記念館を会場に彦九郎生誕250年記念事業が開催されています。

さらに高山彦九郎について知りたい方は、
こちらで学習してくださいね。

太田市立高山彦九郎記念館

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