建礼門院が隠棲した寺院は?京都検定三級過去問!

【問題】『平家物語』には、建礼門院が出家した後(              )に隠棲したと記されている。

(ア)勝林院             しょうりんいん

(イ)寂光院              じゃっこういん

(ウ)来迎院              らいごういん

(エ)曼殊院              まんしゅいん

京都・観光文化検定験 第11回 3級 第16問

【正解】

(イ)寂光院          じゃっこういん

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丸暗記しましょう!

『平家物語』には、建礼門院が出家した後、寂光院に隠棲したと記されている。

■建礼門院

出典元http://osakaseigaku.web.fc2.com

【建礼門院とは?】

平 徳子(たいら の とくし/とくこ/のりこ)

久寿2年(1155年) – 建保元年12月13日(1214年1月25日)の院号です。

父は平清盛、母は平時子。

平清盛と後白河法皇の政治的協調のため、高倉天皇に入内して第一皇子・言仁親王(後の安徳天皇)を産みます。

高倉上皇と平清盛が相次いで没た後、木曾義仲の攻撃により都を追われ、壇ノ浦の戦いで安徳天皇・時子は入水、平氏一門は滅亡します。

徳子は生き残り、罪を問われることはなく、洛東の吉田の地に隠棲し、出家して、直如覚と名乗りました。

7月9日、京都を大地震が襲い、多くの建物が倒壊し、吉田の坊も被害を受けたと思われます。
9月、

「山里は物のさびしき事こそあれ 世の憂きよりは住みよかりけり」

(『古今集』読人知らず)の心境で比叡山の北西の麓、大原寂光院に入り、安徳天皇と一門の菩提を弔いました。

『平家物語』「灌頂巻」では大原を訪れた後白河法皇に自らの人生を語り、全巻の幕引き役となっています。

【寂光院】
天台宗の尼寺。本尊地蔵菩薩。創建については聖徳太子,良忍等といわれるが確証はないようです。

本堂の内陣および柱は、飛鳥・藤原様式および平家物語当時の様式を改修の度ごとに残しながら後世に伝えられたもので、外陣は慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐且元を工事奉行として修理させた桃山様式のものでした。
また、その後江戸時代初頭には、豊臣秀頼や淀君、徳川家康らが再興に手を尽くした。焼失後の現在の本堂は古式通りに忠実に復元したものでありましたが、
2000年5月,本堂は放火により、消失しました。
本堂は5年後に再興されました。

寂光院公式サイト

【アクセス】

京都駅前から17番(18番) 〔C3のりばから〕
◆京阪電車「出町柳駅」前から10番・16番・17番
◆市営地下鉄「国際会館駅」から19番

●京都バス「大原」下車 徒歩15分

【所在地】

京都市左京区大原草生町676

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