本阿弥光悦が開いた芸術村は?京都検定三級過去問!

【問題】美術や工芸に多彩な才能を発揮した本阿弥光悦が芸術村を開いた場所はどこか。

(ア)衣笠              衣笠

(イ)北野              きたの

(ウ)西賀茂            にしがも

(エ)鷹峯           たかがみね

京都・観光文化検定験 第11回 3級 第30問

【正解】

(エ)鷹峯         たかがみね

丸暗記しましょう!

美術や工芸に多彩な才能を発揮した本阿弥光悦は鷹峯に芸術村を開いた。

【本阿弥光悦】
本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)1558〜1637)は、安土桃山から 江戸時代初期の書家、芸術家です。

書、蒔絵、陶芸など、さまざまな分野で才能を発揮し、特に書では独自の書風を確立し、近衛信尹、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と称されました。

その書流は光悦流の祖と仰がれます。

俵屋宗達との見事なコラボレーションによって新しい表現(「鶴下絵和歌巻」(重要文化財。京都国立博物館蔵)など)を次々と世に送り出し、宗達とともに、「琳派」の創始者として日本文化の発展に絶大な影響を与えました。
【鷹峯の地名の由来と光悦】

かつては毎年鷹が雛を産む為にやって来たので、鷹峯と呼ばれるようになった原野です。
1615年、本阿弥光悦は徳川家康から、御土居以北の約8、9万坪の鷹峯を拝領して、本阿弥一族が移り住みました。

やがて光悦を慕う芸術家や豪商も移り住み、鷹峯は、京都の芸術・文化の一大拠点となりました
そこでは光悦を中心として感性豊かな創作活動が展開されたことから、後に「光悦村」と称され、芸術村として広く知られるようになりました。

巻』(部分)本阿弥光悦書、俵屋宗達画 出典元ウィキペディア

『蓮下絵和歌』(部分)本阿弥光悦書、俵屋宗達画 出典元ウィキペディア

光悦の死後に屋敷は寺となり、境内には光悦の墓碑があります。

■光悦寺

出典元http://plaza.rakuten.co.jp/mayun2/diary/200812060000/

出典元http://plaza.rakuten.co.jp/mayun2/diary/200812060000/

出典元http://plaza.rakuten.co.jp/mayun2/diary/200812060000/

出典元http://plaza.rakuten.co.jp/mayun2/diary/200812060000/

【アクセス】

市営地下鉄 北大路駅より
市バス系統1番 鷹峯源光庵前下車 すぐ

阪急四条大宮駅より
市バス系統6番 鷹峯源光庵前下車

【所在地】京都市北区鷹峯光悦町29

image

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする