野々村仁清に学び鳴滝に窯を開いたのは?京都検定三級過去問!

【問題】野々村仁清に学び晩年に鳴滝に窯を開いた陶工で、絵師であった兄との合作でも知られる人物は誰か。

(ア)奥田瀬川

(イ)尾形乾山

(ウ)青木木米

(エ)清水六兵衛

京都・観光文化検定試験 第13回 3級 第30問

【正解】

(イ)尾形乾山

丸暗記しましょう!

陶工、「尾形乾山」は、野々村仁清に学び晩年に鳴滝に窯を開き、絵師であった兄との合作でも知られる。

■尾形乾山「色絵竜田川文透彫反鉢」(旧名称:色絵紅葉文透彫反鉢)

出典元岡田美術館

出典元http://roppongi.keizai.biz/phone/photoflash.php?id=1404

江戸時代中期の陶工,画家。富裕な呉服商の3男尾形光琳の弟.若年より和漢の教養を積んで禅を修め,27歳で仁和寺門前の山荘に隠棲。山荘の近くに窯があった野々村仁清に陶法を学び、元禄 12 (1699) 年鳴滝に窯を開き「乾山焼」として知られた。光琳との合作で優品を生んだが,正徳2 (1712) 年に経営難の鳴滝窯を閉じて,京都二条丁字屋町に移り,聖護院門前に窯を築く。

以後 20年近く同所で経済的に苦しい製陶生活を続け,享保 16 (31) 年江戸に移住,入谷に窯を設ける。

元文2 (37) 年下野国佐野に行き,ここで数百点を製陶,作品は「佐野乾山」と呼称される。

翌春江戸に帰り5年後に没した。作品は懐石用の食器を中心に楽焼,陶器,磁器を作り,磁器は京焼の最初である。装飾手法には白絵,染付,鉄絵の併用,鉄絵の絵高麗,色絵,楽焼色絵など各種を使用。特に色絵にすぐれ,その鮮明な色彩は光琳派風の絵付けとともに独自の装飾的効果をあげている。製陶のほか多くのみごとな絵も描き,晩年は特に絵画制作に力を注いだ。またすぐれた書を陶芸品や絵画に書き添え,独自の書風を示す。生涯独身で通した。主要作品は光琳との合作『寿老六角皿』,『色絵槍梅文茶碗』3個,『色絵杉林文皿』『花籠図』『八ツ橋図』『十二ヵ月花鳥歌絵』など。

(出典元 ブリタニカ国際大百科辞典)

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