朱雀大路の南端の門は?京都検定三級合格ビジュアルガイド!

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【問題】平安京の中心線とも言うべき通りは、南北に通る朱雀大路であるが、その南端にある平安京の正門を何というか。

(ア)建礼門

(イ)朱雀門

(ウ)明徳門

(エ)羅城門

京都・観光文化検定験 第9回 3級 第3問

【正解】

(エ)羅城門

丸暗記しましょう!

平安京の南北に通る中心線は朱雀大路で、その南端には羅城門があった。

【羅城門とは?】

平安京の羅城門は,朱雀大路(すざくおおじ)の南端に建てられた都の正門です。読み方は,呉音で「らじょうもん」,漢音では「らせいもん」となります。「らいせい門」(『宇治大納言物語』『世継物語』) や「らせい門」(『拾芥抄』)とも呼ばれ,「らいしょう(頼庄)」(『延喜式』)や「らしょう」(『拾芥抄』)は俗称とされていましたが,中世には観世信光(かんぜのぶみつ)作の謡曲「羅生門」の影響からか「らしょうもん」が一般化したようです。

ぱるるプラザに展示された1/10模型(現在 非公開)

出典元 京都市 都市史

出典元 京都市 都市史

【羅城門の形状と規模】

門は重層で入母屋造(いりもやづくり),瓦屋根に鴟尾(しび)がのっていました。規模は約35メートル),奥行き約9メートル、高さ約21メートル。正面柱間が七間で,そのうち中央五間に扉が入り(七間五戸),左右の一間は壁であったと考えられています。木部は朱塗りで,壁は白土塗り。内と外は,幅が約27メートル、5段の石段で、通じていました。

朱雀大路の南端に建つ羅城門と,約4キロメートル北に建つ朱雀門は同じ形と大きさであったとみられています。

出典元http://kokugokyoiku.seesaa.net/s/

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【羅城門の変遷】
羅城門は高さと幅に対して奥行が短いことから風に弱かったらしく,弘仁7(816)年8月16日,大風により倒壊しました。その後再建されましたが,天元3(980)年7月9日の暴風雨でふたたび倒壊しました。

寛弘元(1004)年,丹波守高階業遠(たかしなのなりとお)が羅城門を造ることを条件に任期の延長を申し出て認められましたが,翌年に,はばかるところがあるとの理由で辞退しています。従って,天元3(980)年以降再建されることはありませんでした。

治安3(1023)年には,藤原道長が法成寺(ほうじょうじ)造営に際して,羅城門などの石を運ばせました。その頃の羅城門は,礎石がかろうじて残っている程度に荒廃していたと考えられます。

羅城門は外国からの使節を迎え入れる時,平安京の威容を見せるために造られたみやこの表玄関でした。渤海(ぼっかい)や新羅(しらぎ)からの使節がとだえるにともない羅城門の役割がなくなり,再建される必要がなかったのでしょう。

【羅城門遺址(らじょうもんいし) 南区唐橋羅城門町(花園児童公園内)】

明治28(1895)年,平安遷都千百年紀念祭の事業の一つとして,湯本文彦(ゆもとふみひこ)の提案による平安京実測事業がなされ,羅城門の位置を決め,京都市参事会によって「羅城門遺址」の石碑がその地に建てられました。
決定の方法は,延暦15(796)年の創建以来、位置が不動とされた東寺の南門を基準として、そこから曲尺(かねじゃく)で計測して,九条通の南端の位置を決定し,さらに計測して朱雀大路の中心,すなわち羅城門の中心を決めました。

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出典元 京都市 都市史

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