江戸時代、高瀬川を開削した人物は?京都検定第15回3級過去問

【問題】江戸時代、大坂・伏見方面からの物資運搬に活用された高瀬川を開削した人物は誰か。

(ア)角倉了以

(イ)豊臣秀次

(ウ)前田玄以

(エ)灰谷紹益

京都・観光文化検定試験 第15回 3級 第7問

【正解】

(ア)角倉了以

京都検定3級合格必須の丸暗記文!

江戸時代、大坂・伏見方面からの物資運搬に活用された高瀬川を開削した人物は角倉了以である。

■角倉了以像(嵐山公園・亀山地区)

■角倉了以

安土桃山時代から江戸初期にかけての京都の豪商,海外貿易家。本姓吉田,名は光好(みつよし)。1592年豊臣秀吉から朱印状を得て角倉船と称する400人乗りの朱印船をアンナン(安南)に派遣し貿易を行った。また大堰(おおい)川,高瀬川を開削し,富士川,天竜川の治水等国内の土木開発事業にも貢献。子の素庵(そあん)(貞順)〔1571-1632〕は父の没後も海外貿易を引き継ぎ,また書道家としても有名で,角倉流書風の始祖とされる。本阿弥光悦と協力して嵯峨本(さがぼん)を刊行した。(出典元百科事典マイペディア)

★高瀬川

二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流(堤外水路)で、東一条付近で鴨川から取水)から取水する。二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で一級河川鴨川に合流する。

かつて、京都と伏見を結ぶ運河であった頃は、現在の鴨川合流点のやや上流側で鴨川を東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行、濠川と合流し伏見港を経て宇治川に合流していた。

●高瀬川沿い、木屋町通はお花見のお勧め観光スポットです。

 

京都嵐山、大悲閣千光寺公式サイト(大悲閣千光寺は、京都の西、嵐山にかかる渡月橋から約1kmあまり上流へ行った所にあり、江戸時代の豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)が、大堰川を開削する工事で亡くなった人々をとむらうために、嵯峨の中院にあった千光寺を、移転し建立させたものです。

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