土佐出身の大政奉還の功労者は?京都検定第13回3級過去問!

【問題】河原町通蛸薬師にあった醬油商の近江屋で慶応3年(1867)に暗殺された、今年(平成28年)150回忌を迎える土佐出身の大政奉還の功労者は誰か。

(ア)勝海舟

(イ)高杉晋作

(ウ)西郷隆盛

(エ)坂本龍馬

京都・観光文化検定試験 第13回 3級 第9問

【正解】

(エ)坂本龍馬

丸暗記しましょう!

大政奉還の功労者「坂本龍馬」は河原町通蛸薬師にあった醬油商の近江屋で慶応3年(1867)に暗殺された。

◼︎坂本龍馬

幕末の志士。
天保6年11月15日、土佐国(高知県)高知城下本丁一丁目に郷士坂本八平の次男に生まれた。

本家は富商才谷屋で、曽祖父兼助が郷士株を取得して分家した町人郷士。
領知197石など家産があり裕福であった。

幼少時愚鈍の評があったが、城下築屋敷の日根野弁治道場での剣術修行でたくましくなった。

1853年(嘉永6)3月、江戸に出て北辰一刀流千葉定吉道場に剣を学び、1年余で帰国。

1856年(安政3)8月、ふたたび江戸に出て剣技を磨き、剣士として知られ、北辰一刀流の免許を得、1858年9月帰国。

1861年(文久1)8月土佐勤王党が結成されるやこれに加盟。
10月剣術修行を名目に出国、翌1862年1月には長州萩(はぎ)に久坂玄瑞(くさかげんずい)を訪(とぶら)い、帰国後3月24日脱藩。
大坂、京都を経て江戸へ出た。
在郷当時、海外事情に詳しい絵師河田小龍の通商航海論に共鳴していた龍馬は、江戸で異色の幕臣勝海舟を訪い、その見識に感激して入門、単純な攘夷(じょうい)論を捨て、航海術を修業し、勝の信頼を受け、勝を補佐して活動した。

1863年には、勝の主唱による神戸海軍操練所の設立に東奔西走、10月その塾頭となったが、1864年(元治1)10月には勝の突然の失脚によって、操練所は解散された。

この間、龍馬は松平春嶽(しゅんがく)(慶永(よしなが))、横井小楠(しょうなん)、三岡八郎(由利公正(ゆりきみまさ))、大久保一翁(忠寛(ただひろ))ら開明の人士らの知遇を得、西郷隆盛とも知り合った。
操練所解散後、龍馬は薩摩藩の保護を受け、1865年(慶応1)5月ごろ、同志を率いて長崎に商社(亀山(かめやま)社中)を設けて通商航海業に乗り出し、これを媒体として倒幕のため薩長2藩を同盟させる運動に奔走、中岡慎太郎と協力して翌1866年1月20日には京都で薩長同盟を成立させた。

その直後の23日、伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受け、寺田屋の養女お龍の機転で危うく難を免れ、お龍と結婚した。
薩長同盟の成立は幕府の長州再征を失敗に導いた。

1866年土佐藩が貿易のため長崎に設けた土佐商会に出張してきた参政後藤象二郎(かつての土佐勤王党の弾圧者)と龍馬は翌1867年1月に会談。
山内容堂の公武合体路線の行き詰まりから方向転換を求めていた土佐藩は、龍馬と中岡慎太郎の脱藩の罪を許し、龍馬は海援隊長、中岡は陸援隊長となった。

6月、後藤とともに藩船で京都に向かう船中で龍馬は、大政奉還、公議政治などの新国家構想をいわゆる「船中八策」としてまとめたが、これが土佐藩論を動かし、10月山内容堂は将軍徳川慶喜に大政奉還を建白、慶喜はこれをいれて朝廷に奉還を上奏、朝廷は10月15日これを許可し大政奉還は実現した。

その後も龍馬は土佐、長崎、福井などを奔走、新政府の構想を練っていたが、11月15日夜、京都の下宿近江屋で中岡慎太郎と会談中、幕府見廻組(みまわりぐみ)に襲われた。(出典元 日本大百科全書)

◼︎近江屋事件

江戸時代末期、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に坂本龍馬と中岡慎太郎、山田藤吉の3人が京都河原町近江屋井口新助邸において暗殺された事件。

実行犯については、江戸幕府京都見廻組によるものという説が有力である。

【近江屋跡】

出典元http://www.ichinoden.jp/sp/kyodayori/kinrin/11-6.html

【アクセス】

阪急電鉄京都線「河原町」駅下車、徒歩3分

【所在地】京都市中京区河原町通蛸薬師下ル西側塩屋町

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