晩年を酬恩庵で過ごした僧は?京都検定三級過去問!

【問題】応仁の乱(応仁・文明の乱)で荒廃した大徳寺を堺の豪商の援助を得て復興し、晩年を過ごした報恩庵(京田辺市)に等身大の像があることで知られる僧は誰か。

 

(ア)宗峰妙超

 

(イ)一休宗純

 

(ウ)春屋妙葩

 

(エ)古嶽宗亘

 

京都・観光文化検定試験 第13回 3級 第18問

 

【正解】

(イ)一休宗純

 

 

丸暗記しましょう!

『一休宗純』は応仁の乱(応仁・文明の乱)で荒廃した大徳寺を堺の豪商の援助を得て復興した。また晩年を過ごした酬恩庵(京田辺市)に等身大の像がある。

 

(酬恩庵 一休宗純像)

出典元http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/tonomura_miki/120200007/?ST=mobile&P=3

 

■一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。

説話のモデルとしても知られる。

 

■大徳寺 真珠庵

臨済宗大徳寺派大本山、大徳寺の塔頭寺院。永享年間(1429-1441)に、大徳寺を復興した一休宗純を開祖として創建。応仁の乱により焼失するが、延徳3年(1491)に堺の豪商、尾和宗臨によって再興された。
方丈(重文)には桃山時代の代表的絵師、長谷川等伯と、一休禅師に参禅し、また奇想の画家として知られる曽我蛇足による障壁画(全て重文)が納められている。

(出典元 大徳寺 真珠庵 京都春秋)

大徳寺 公式サイト

 

【アクセス】市バス 大徳寺前下車 徒歩約5分

【所在地】京都市北区紫野大徳寺町53

 

 

■酬恩庵

京都府京田辺市にある臨済宗大徳寺派の寺院である。

山号は霊瑞山。

本尊は釈迦如来。

一休寺(いっきゅうじ)、薪(たきぎ)の一休寺とも称される。

枯山水の石庭や一休宗純の木像のほか、納豆の一種である「一休寺納豆」でも有名。

 

酬恩庵 一休寺 公式サイト

 

【アクセス】

●近鉄「新田辺」駅から1.5km(徒歩25分、バスで10分、タクシーで約5分)
近鉄「新田辺」駅からバスの利用
新田辺駅西口バスロータリー4番乗り場から京阪バス66系統
●JR「京田辺」駅から1km(徒歩20分、タクシーで約5分)

【所在地】京都府京田辺市薪里ノ内102

 

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