【問題】『今昔物語集』に登場する「蟹の恩返し」の話で有名な木津川市の寺院はどこか。
(ア)成相寺
(イ)蟹満寺
(ウ)十輪寺
(エ)随心院
京都・観光文化検定試験 第14回 3級 第66問
【正解】
(イ)蟹満寺
丸暗記しましょう!
『今昔物語集』に登場する「蟹の恩返し」の話で有名な木津川市の寺院は蟹満寺である。
昔、山城国(現山城町綺田)に観音様を厚く信じる農家の父娘がいました。ある日、娘は村人がとる蟹を哀れみ逃がしてやりました。またある日、父は田で蛇にのまれんとしている蛙を助けるのに「娘を嫁にやるから蛙を助けて欲しい」とうっかり言ってしまいました。その夜、立派な男性の姿をした蛇が娘を貰いに来ますが、「三日待ってくれ」と懇願しました。男性は一度、引き帰りました。
三日目、板を打ち付けた部屋の中で父娘は懸命に観音経普門品を唱え祈っていました。やってきた蛇は約束が違うと怒りだし、家の周囲で暴れました。しかし突然、その音もやみました。夜が明けて見てみると、家の周囲には蟹の鋏で切り裂かれた蛇の死体が転がっていました。その時に死んだ蟹と蛇の屍を葬り塚を作ってその上に観音堂を建てたのが、蟹満寺といわれています。現在、毎年4月に蟹供養がおこなわれています。
(出典元木津川市観光ガイド)
■蟹満寺
この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、周辺の発掘調査から飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されている。その後、江戸時代の正徳元年(1711年)智積院の僧亮範が入寺し再興された。今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である。
寺の所在地の地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったものである。この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかる。(出典元ウィキペディア)
【アクセス】JR棚倉駅から徒歩約20分
【所在地】京都府木津川市山城町綺田浜36
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