養源院の杉戸絵「唐獅子図」「白象図」を描いた絵師は?京都検定第13回3級過去問!

【問題】養源院の杉戸絵「唐獅子図」や「白象図」を描いたとされる絵師は誰か。

 

(ア)俵屋宗達

 

(イ)長谷川等伯

 

(ウ)狩野永徳

 

(エ)海北友松

 

京都・観光文化検定試験 第13回 3級 第27問

 

【正解】

(ア)俵屋宗達

 

丸暗記しましょう!

 

養源院の杉戸絵「唐獅子図」「白象図」を描いたとされる絵師は『俵屋宗達』である。

■唐獅子図

 

■白象図

 

■俵屋宗達

桃山から江戸初期にかけての画家。俵屋は家号。伊年・対青軒の印を用いた。

宗達光琳(こうりん)派、いわゆる琳派の祖。

京都の上層町衆の出身とみられ、本阿弥光悦書の和歌巻の金銀泥下絵を描き、また扇面画や色紙絵などに大和絵の伝統を新解釈した斬新(ざんしん)な装飾的画法を示し、水墨画にも新風を吹き込んだ。

「風神雷神図」など屏風(びょうぶ)の大作も多い。生没年未詳。

(出典元 デジタル大泉辞)

 

■養源院
浄土真宗遣迎院派の寺院。

養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。もと天台宗。

 

(養源院の歴史)

文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建した

浅井氏の菩提寺。

開山は浅井氏の庶流にあたる比叡山の僧成伯法印(伝・長政弟)。
元和2年(1616年)5月7日、2代将軍秀忠正室の崇源院(江、淀殿の妹)によって、この養源院で開基である淀殿と豊臣秀頼の菩提が弔われた。

元和5年(1619年)、火災により焼失したが、元和7年(1621年)、崇源院の願により再興された。

以後、徳川氏の菩提所ともなった。

もとは天台宗であったが、第二次世界大戦後に浄土真宗遣迎院派に改宗した。

 

【アクセス】

●京阪電車 七条下車 徒歩約7分

●市バス 博物館三十三間堂前/東山七条下車 徒歩約3分

【所在地】京都市東山区三十三間堂廻町656

 

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