【問題】永久3年(1991)、城南宮の流鏑馬に事よせて畿内近国の武士を招集し、鎌倉幕府の倒幕のため北条義時追討の院宣を出した人物は誰か。
(ア)順徳上皇
(イ)土御門上皇
(ウ)後鳥羽上皇
(エ)後白河上皇
京都・観光文化検定試験 第12回 3級 第4問
【正解】
(ウ)後鳥羽上皇
丸暗記しましょう!
「後鳥羽上皇」は、永久3年(1991)、城南宮の流鏑馬に事よせて畿内近国の武士を招集し、鎌倉幕府の倒幕のため北条義時追討の院宣を出した。
■永久の乱
承久3年(1221年)5月14日、後鳥羽上皇は、時の執権・北条義時追討の院宣を出し、山田重忠ら有力御家人を動員させて畿内・近国の兵を召集して承久の乱を起こしたが、、幕府の大軍に完敗。わずか2ヶ月あとの7月9日、19万と号する大軍を率いて上京した義時の嫡男・泰時によって、後鳥羽上皇は隠岐島(隠岐国海士郡の中ノ島、現海士町)に配流された。父の計画に協力した順徳上皇は佐渡島に流され、関与しなかった土御門上皇も自ら望んで土佐国に遷った。
(出典元 ウィキペディア)
■後鳥羽上
(1180~1239)鎌倉時代初期の上皇(在位1198~1221)。
高倉天皇の第4皇子。
平氏が安徳天皇を奉じて西国へ敗走後,後白河上皇の命によって即位(1183年)。
上皇の没後、6年間の親政をへて土御門天皇に譲位し,3代23年にわたり院政を行った。
鎌倉幕府のうちわもめを見て,1221年に承久の乱をおこし,諸国の武士に北条義時追討の命令を下したが,北条氏と御家人の結束はかたく,京都を幕府軍に占領されてやぶれた。
乱ののち隠岐(島根県)に流され,同地でなくなった。
和歌にすぐれ,『新古今和歌』を編さんさせた。
(出典元ニューワイド学習百科事典)
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