【問題】『風姿花伝』の著者であり、足利義満の支援を受け父とともに能を大成した人物は誰か。
(ア)観阿弥 かんあみ
(イ)世阿弥 ぜあみ
(ウ)芸阿弥 げいあみ
(エ)音阿弥 おんあみ
京都・観光文化検定験 第11回 3級 第36問
【正解】
(イ)世阿弥
丸暗記しましょう!
世阿弥は『風姿花伝』の著者であり、足利義満の支援を受け父とともに能を大成した。
【世阿弥】
(1363年? – 1443?)
日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残しました。
観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれています。
幼名は鬼夜叉、そして二条良基から藤若の名を賜る。通称は三郎。実名は元清。
1372年、父が京都で名声を得るきっかけとなった醍醐寺7日間公演に9歳で参加し、1375年、「観世座はスゴイ」という噂を聞いた当時17歳の3代将軍足利義満は、京都・今熊野で初めて猿楽能を鑑賞し、観阿弥の演技が素晴らしいだけでなく、共演した12歳の美少年世阿弥の愛らしさにメロメロになった。以降、義満は観世座の熱心な後援者となりました。
【風姿花伝 (ふうしかでん)】
世阿弥が記した能の理論書。
世阿弥の残した21種の伝書のうち最初の作品。
亡父観阿弥の「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」の教えを基に、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。
全七編あり、最初の三つが応永7年(1400年)に、残りがその後20年くらいかけて執筆・改訂されたと考えられている。
「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現はここにその典拠がある。
多くの人に読まれ始めたのは20世紀に入った明治42年(1909年)に吉田東伍が学会に発表してからで、それまでは一族の「秘伝書」として、その存在すらほとんど知られていなかった。
能の芸道論としても読める一方、日本の美学の古典ともいう。Kadensho、Flowering Spirit などの題名で何度か外国語訳もされ、日本国外でも評価されている。
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