六波羅蜜寺の空也上人立像の作者は?京都・観光文化検定3級過去問

【問題】六波羅蜜寺にある「空也上人立像」(重文)の作者は誰か。

(ア)運慶

(イ)湛慶

(ウ)快慶

(エ)康勝

京都・観光文化検定験 第12回 3級 第29問

【正解】

(ア)運慶

丸暗記しましょう!

六波羅蜜寺にある「空也上人立像」(重文)の作者は運慶である。

出典元 ウィキペディア

出典元 ウィキペディア

【空也上人立像】

空也の彫像は、六波羅蜜寺が所蔵する立像(運慶の四男 康勝の作)が、最も有名である。

他には、月輪寺(京都市右京区)所蔵
浄土寺(松山市)所蔵、
荘厳寺(近江八幡市)所蔵が代表的である。
彫像の造形は、特徴的である。一様に首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、わらじ履きで歩く姿を表す。

6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられている。

この6体の阿弥陀像は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。

【六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)】

真言宗智山派の寺院。
山号は補陀洛山。
本尊は十一面観音。
開基(創建)は空也。

踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。

空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。

空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。
空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近である。
名称は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。

(出典元 ウィキペディア)

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六波羅蜜寺 公式サイト

【アクセス】

京阪電車 清水五条下車 徒歩約8分

市バス 清水道下車 徒歩約5分

【所在地】東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町81-1

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