【問題】明治天皇の御陵は京都に造られた。それはどこか。
(ア)水尾山陵
(イ)月輪陵
(ゥ)桃山御陵
(エ)醍醐陵
京都・観光文化検定試験 第16回 3級 第10問
【正解】
(ゥ)桃山御陵
京都検定3級合格必須の丸暗記文!
明治天皇の御陵は京都の桃山御陵に造られた。
■伏見桃山陵
京都市伏見区桃山にある明治天皇の陵(みささぎ)。砂礫で葺かれた上円下方墳。桃山御陵。明治天皇桃山陵。ふしみももやまのみささぎ。
(出典元精選版 日本国語辞典)
1912年(明治45年)7月30日、明治天皇は東京の宮城・明治宮殿で崩御した。同年(大正元年)9月13日に東京・青山の帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)にて大喪儀が執り行なわれた後、翌14日に埋葬された。
陵の敷地の桃山は、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地で、京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によるものという。すぐ東には皇后である昭憲皇太后の伏見桃山東陵(ふしみのももやまのひがしのみささぎ)が隣接する。また、桓武天皇の柏原陵にもほど近い。周囲一帯は宮内庁の管理地「桃山陵墓地」となっており、京都市南西部から旧山陽道、旧西海道地域の陵墓を管理する宮内庁書陵部桃山陵墓監区事務所がある。
墳丘は古式に範を採った上円下方墳で、下段の方形壇の一辺は約60メートル、上段の円丘部の高さは約6.3メートル、表面にはさざれ石が葺かれている。方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に棺を入れた木槨を納めた。槨内の隙間には石灰を入れた上で石蓋を被せてコンクリートで固めた。上円下方墳の墳形は天智天皇陵がモデルにされたという[1]。
幕末の孝明天皇についで火葬にせず、天武天皇以前の古制に戻した
(出典元ウィキペディア)
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