【問題】明治初期に産業育成の一環で、舎密局(せいみきょく)、女紅場(にょこうば)、勧業場などの設置を推進した第二代京都府知事は誰か。
(ア)長谷信篤
(イ)北垣国道
(ウ)西郷菊次郎
(エ)槇村正直
京都・観光文化検定試験 第15回 3級 第10問
【正解】
(エ)槇村正直
京都検定3級合格必須の丸暗記文!
第二代京都府知事の槇村正直は、明治初期に産業育成の一環で、舎密局(せいみきょく)、女紅場(にょこうば)、勧業場などの設置を推進した。
■槇村正直
嘉永3年杉田文佐衛門の養子となり、安政元年槇村五八郎満久の養子となる。慶応元年家督を相続し、明治元年上京。京都府に出仕し、議政官史官、権大参事、4年大参事、8年権知事、10年知事に昇進。この間、府の勧業場を設け、舎密局、授産所、養蚕所、製革場などを管理して産業の振興を計った。また、学校、図書館、病院の設立にも尽力。14年元老院議官に転じ、行政裁判所長官などを歴任。
(出典元政治家人名事典)
★舎密局
明治初期に理化学の実験と教育のために設立された機関。明治元年(一八六八)幕府の開成所の理化学部門を大阪に移転し、翌年開局した。同三年理学校と改称、のち、大阪開成所に統合された。また、同三年に京都舎密局も開設されたが、同一七年廃局。(出典元日本国語大辞典)
★女紅場
女紅伝習所ともいう。明治初期に,全国各地に設けられた婦人のための授産場。裁縫などの手仕事を教授した。その名は現在,京都祇園の舞妓の学校に残されている。(出典元ブリタニカ国際大百科事典)
★観業湯
明治期の初めに登場して関東大震災のころまで普及した,商品の陳列・即売場。現在のデパートに近い役割を果たした。(出典元世界大百科事典)
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