天下人になった豊臣秀吉が造営した壮大な邸宅は?京都検定3級過去問!

【問題】天下人になった豊臣秀吉が平安京の大内裏跡である内野に造営した壮大な邸宅は何か。

(ア)聚楽第

(イ)東三条殿

(ゥ)土御門殿

(エ)六波羅第

京都・観光文化検定試験 第16回 3級 第6問

【正解】

(ア)聚楽第

京都検定3級合格必須の丸暗記文!

天下人になった豊臣秀吉が平安京の大内裏跡である内野に造営した壮大な邸宅は聚楽第である。

■聚楽第

豊臣秀吉が内裏の西方,内野(平安宮内裏の跡)に築いた公邸。織田信長が将軍足利義昭のために築いた二条邸と同じく,水堀と石垣をめぐらす平城。現在はそのあたりに山里町,高台院町など,ゆかりの地名をのこすのみである。築城は1586年(天正14)正月から開始され,秀吉は翌年9月にここに移り,88年4月に後陽成天皇の行幸があった。91年の末に秀吉は関白の任とともにこれを甥の秀次に譲ったが,95年(文禄4)秀次を追放して切腹させると同時に,聚楽第も破却,新築した伏見城に公儀の場を移し,聚楽第周囲に造られていた諸大名の邸宅も,その城下に移させた。

出典元『聚楽第図屏風』部分(三井記念美術館所蔵)
秀吉は何のために聚楽第を作ったのか!?【おもしろ歴史雑学】

(出典元世界大百科事典)

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