本能寺の変の際、織田信忠が宿泊していた日蓮宗の寺院は?京都検定3級過去問

【問題】狩野元信ら狩野派の菩提寺で、本能寺の変の際、織田信忠が宿泊していた日蓮宗の寺院はどれか。

(ア)妙顕寺

(イ)妙覺寺

(ウ)本法寺

(エ)本隆寺

京都・観光文化検定試験 第16回 3級 第17問

【正解】

(イ)妙覺寺

京都検定3級合格必須の丸暗記文!

本能寺の変の際、織田信忠が宿泊していた日蓮宗の寺院は 妙覺寺である。

出典元ウィキペディア

巡る本山 妙覺寺ページ

■ 妙覺寺

京都市上京区にある日蓮宗の寺。具足山と号し,京都日蓮宗16本山の一つ。妙顕寺から分かれた日実が,1378年(天授4∥永和4)創建。絵師の狩野,彫金の後藤,製陶の楽(らく)など有力町衆信徒を獲得して近世に至った。寺地は洛中を転々としたが,1583年(天正11)豊臣秀吉の洛中整理で現地に移った。寺地の広さは洛中では東寺・相国寺・妙顕寺につぎ,地方末寺も多く,寺勢の強大さが知れる。江戸初期,住持日奥が幕府の弾圧にも屈せず不受不施の宗義を説き,受不施派の身延山と対立,1630年(寛永7)の身池対論(しんちたいろん)まで不受不施派の拠点となった。(出典元世界大百科事典)

■織田信忠1557‐82(弘治3‐天正10)
安土桃山時代の武将。信長の長子。幼名は奇妙丸,長じて菅九郎。浅井攻めを初陣とし,その後諸方で戦功があった。1575年(天正3)出羽介,翌年秋田城介。信長が安土に移ると代わって岐阜城主。77年,紀伊雑賀(さいが)攻めに続き大和信貴山(しぎさん)に松永久秀を滅ぼす。82年,信濃から甲斐に攻め入り武田勝頼を滅ぼす。中国攻めのため上洛,京都妙覚寺滞在中に明智光秀の謀反を知るが,本能寺救援は果たせず,二条城で光秀方に包囲され自刃。(出典元世界大百科事典)

天下の貴公子こと『織田信忠』!鮮烈に散った26年の生涯をひも解く

■所在地

京都府京都市上京区下清蔵口町135

■アクセス 

地下鉄 烏丸線「鞍馬口駅」徒歩10分

市バス(系統:9、12、67)「天神公園前」徒歩3分

◆関連過去問と解説はこちらをご覧ください

【問題】二条城の二の丸御殿に残る豪華絢爛な障壁画を描いた絵師は何派か。 (ア)土佐派 (イ)円山派 (ウ)狩野派 ...

新版 京都・観光文化検定試験公式テキストブック

3日でマスター!京都検定3級虎の巻

ブログランキングを見る

ブログランキングに参加しております
よろしければポチっとおねがいします

生涯学習ランキング

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする