【問題】本堂の血天井が有名な( )は、淀君が父・浅井長政の菩提を弔うために建立した。
(ア)法住寺
(イ)養源院
(ウ)妙法院
(エ)三十三間堂
京都・観光文化検定験 第12回 3級 第18問
【正解】
(イ)養源院
丸暗記しましょう!
淀殿が父・浅井長政を弔うために建立した養源院には血天井がある。
■養源院
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政、祖父浅井久政らの二十一回忌の供養のために秀吉に願って創建しました。浅井長政・久政は天正元年(1573年)、小谷城で自刃しています。元和2年5月7日に崇源院(江)が養源院で淀殿・豊臣秀頼の菩提を弔いました。その後、元和5年(1619年)、火災により焼失。元和7年(1621年)、淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興されました。以後、徳川氏の菩提所となりました。もと天台宗で第二次大戦後に浄土真宗遣迎院派に改宗しました。
■血天井
伏見城の戦い(1600年8月26日(慶長5年7月18日)から1600年9月8日(8月1日)まで行なわれた関ヶ原の戦いの前哨戦で、鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある。
(出典元 ウィキペディア)
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【アクセス】京阪本線「七条」下車、徒歩
京都市営バス(急行100・206・208系統)「博物館三十三間堂前」下車、徒歩
【所在地】京都市東山区三十三間堂廻り町656