男山にある、弓矢と戦勝の神として信仰されていたのは?京都・観光文化検定3級過去問

【問題】かつては弓矢の神や戦勝の神として武家の信仰を集め、現在、男山に広がる境内が国の史跡に指定されてる神社はどこか。

 

(ア)石清水八幡      いわしみずはちまんぐう

(イ)首途八幡宮      かどではちまんぐう

(ウ)三宅八幡宮      みやけはちまんぐう

(エ)若宮八幡宮      わかみやはちまんぐう

 

京都・観光文化検定験 第10回 3級 第11問

 

【正解】

(ア)石清水八幡宮   いわしみずはちまんぐう

 

丸暗記しましょう!

男山にある石清水新宮は、武家から弓矢と戦勝の神として信仰されていた。

 

【創建】
平安時代、貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教(空海の弟子)が八幡宮総本宮の宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託により、翌貞観2年(860年)清和天皇が社殿を造営し、分霊されたのが創建とされます。

「石清水」の社名は、男山に既に鎮座していた石清水山寺(現・摂社石清水社)によるといわれています。

【男山の位置・皇室・武家】
八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地でありました。
また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもありました。
京都盆地の裏鬼門(南西)に位置することから、表鬼門(北東)の延暦寺とともに、朝廷・皇室から重要視されました。

 

■境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、頓宮や高良神社のある山麓の下院とからなります。本殿をはじめとする建造物が国宝及び重要文化財に指定されています。

出典元 http://s.webry.info/sp/bandmaster.at.webry.info

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(桜門 国宝)

出典元 ウィキペディア

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💡第38回京阪・文化フォーラムは、石清水八幡〜神社建築と戦国武将の信仰〜です!

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石清水八幡公式サイト

【アクセス】

◇京都方面より
京都駅から近鉄電車「丹波橋駅」あるいはJR「東福寺駅」のりかえ
京阪電車「八幡市駅」~男山ケーブル「男山山上駅」 下車徒歩5分

 

【所在地】京都府八幡市八幡高坊30

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