【問題】幕末に松平容保が会津藩の本陣を置いた( )は、通称「黒谷さん」と呼ばれ親しまれている。
(ア)金戒光明寺
(イ)天龍寺
(ウ)壬生寺
(エ)西本願寺
京都・観光文化検定試験 第12回 3級 第17問
【正解】
(ア)金戒光明寺
丸暗記しましょう!
幕末に松平容保が会津藩の本陣を置いた 「金戒光明寺」は、通称 「黒谷さん」と呼ばれ親しまれている。
■金戒光明寺
(御影堂(大殿))
浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院 のはじまり。
西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を眺み山門、阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。
また、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった。
(出典元 金戒光明寺公式サイト)
【京都守護職本陣 】
金戒光明寺は、徳川初期に、同じ浄土宗の知恩院とともに、城郭構造に改められていた。会津藩主松平容保が幕末の文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。しかし、会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。
(出典元ウィキペディア)
【アクセス】市バス100系統岡崎道下車 徒歩約10分
【所在地】京都市左京区黒谷町121
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