【問題】鎌倉時代になると、京都の朝廷と鎌倉の武家政権とが対立し、後鳥羽上皇は兵を集めたが、幕府軍に敗退した。この戦いは何か。
(ア)保元の乱
(ィ)平治の乱
(ゥ)承久の乱
(エ)元弘の乱
京都・観光文化検定試験 第16回 3級 第3問
【正解】
(ゥ)承久の乱
京都検定3級合格必須の丸暗記文!
承久の乱で、京都の朝廷と鎌倉の武家政権とが対立し、後鳥羽上皇は兵を集めたが幕府軍に敗退した。
■承久の乱
1221(承久3)年,京都の朝廷と鎌倉幕府との間におこった争乱
公家勢力の回復を志していた後鳥羽上皇は,源頼朝死後相次ぐ有力御家人の反抗など幕府内の混乱と将軍実朝の死(1219)を契機に,討幕計画を進め,北条義時追討の兵を挙げたが,北条政子・執権義時を中心に団結し上洛した幕府軍に大敗。幕府は仲恭天皇の廃位,後鳥羽・土御門 (つちみかど) ・順徳の3上皇の配流,朝廷方公卿・武士の所領没収と新補地頭の設置,六波羅探題の設置などを行った。その結果,公家政権は衰え,幕府権力は確立し北条氏執権体制が進展した。
(出典 旺文社日本史事典)
【後鳥羽天皇】
[1180~1239]第82代天皇。在位1183~1198。高倉天皇の第4皇子。名は尊成(たかなり)。祖父後白河法皇の院政下、神器継承なしに即位し、譲位後、土御門(つちみかど)・順徳・仲恭(ちゅうきょう)3帝にわたって院政を執った。北条義時追討を謀って承久の乱を起こしたが失敗、隠岐(おき)に流された。諡号(しごう)ははじめ顕徳院、のち後鳥羽院。蹴鞠・琵琶・笛などの芸能や和歌にもひいで、新古今集を勅撰。日記「後鳥羽院宸記」がある。
(出典 小学館デジタル大辞泉)
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