【問題】歌人として大きな功績を残した藤原定家が撰を手掛けたとされ、現在、競技かるたでも用いられているものはどれか。
(ア)万葉集
(イ)拾遺和歌撰
(ウ)金葉和歌集
(エ)小倉百人一首
京都・観光文化検定試験 第15回 3級 第33問
【正解】
(エ)小倉百人一首
京都検定3級合格必須の丸暗記文!
小倉百人一首は藤原定家が撰を手掛けたとされ、競技かるたでも用いられている。
■小倉百人一首
歌がるたの一種で,その代表的なもの。藤原定家が京都の小倉山荘で撰したと伝えられる 100首の和歌 (1歌人1首) が札に記されていることからこの名がある。札は和歌の全句を書いた読み札と下句だけの取り札 (拾い札) 各 100枚に分れ,読み札には作者の肖像画が描かれているのが普通。この遊戯は江戸時代の寛永年間頃江戸城大奥の御殿女中たちの間から始り,元禄年間には遊女や武家の女たちに広がった。当時は文芸的,教育的要素が強かったが,明治中期以降,現在のような正月行事となった。遊び方は,読み手が読み札を朗詠風に読み,取り手が取り札を取る。取り手が2組に分れ,取り札も2分して競うのが「源平」,取り札を座の中央にまき,取り手ひとりひとりが競うのが「散らし」である。また読み札を裏返して積重ね,順次めくり捨てて坊主の札がくると拾い札を拾う (その逆もある) 「坊主めくり」という遊び方もある。 100枚をめくり終ったときの持ち札の少い者が勝つ (その逆もある) 。(出典元ブリタニカ国際大百科事典)
■藤原定家
鎌倉初期の歌人、歌学者、古典学者。名は、「さだいえ」とも。父は俊成。母は藤原親忠の娘。正二位権中納言まで進んだ。晩年出家し、法名は明静。「新古今和歌集」の撰者の一人で、「新勅撰和歌集」「小倉百人一首」の撰者でもある。新古今時代の代表歌人で、その和歌・歌論は以後の文芸や文化に深い影響を与えた。また、「源氏物語」など多くの古典の書写や校訂などを行なって、以後の本文研究の規範となった。日記に、一九歳から五六年間書きつづけた「明月記」がある。家集に「拾遺愚草」があり、歌学書に「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌之大概」など、研究書に「顕註密勘」「僻案抄」「源氏物語奥入」など多数の著作がある。応保二~仁治二年(一一六二‐一二四一)(出典元日本国語大辞典)
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