後白河法皇の院御所だったその場所は?京都・観光文化検定3級過去問

【問題】平清盛と後白河法皇の対立が深まり、治承3年(1179)、清盛は法皇を幽閉した。かつて院御所だったその場所はどこか。

(ア)三条殿

(イ)一本御書所

(ウ)鳥羽殿

(エ)高松殿

京都・観光文化検定試験 第15回 3級 第77問

京都検定3級合格必須の丸暗記文!

平清盛と後白河法皇の対立が深まり、治承3年(1179)、清盛は法皇を幽閉した。かつて院御所だったのは鳥羽殿である。

■後白河法皇の離宮(別名は色々とあり、鳥羽殿、鳥羽離宮、城南離宮とも言う)の現在の風景。

【Shell traders・シェル商会】 後白河法皇の離宮(別名は色々とあり、鳥羽殿、鳥羽離宮、城南離宮とも言う)の現在の風景。

■鳥羽殿

白河,鳥羽両上皇の離宮。洛南鳥羽の地は東を鴨川,西を桂川にはさまれた池沼の多い地域であったが,京に近く交通の便の良い景勝の地であった。この地に早く備前守藤原季綱が山荘を経営していたが,1086年(応徳3)白河天皇へ寄進し,天皇の後院(ごいん)として鳥羽殿が造営された。平安京の朱雀大路南端から京の南郊の鳥羽まで直線で南下する鳥羽作道(とばのつくりみち)を,鳥羽殿の西辺とし,道に沿って北殿と南殿が北と南に位置し,北殿の東に田中殿,その東に東殿が位置していた。(引用元世界大百科事典 )

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