【問題】明治5年(1872)の京都博覧会の附博覧(余興)以来、祇園町の芸妓・舞妓による都をどりを振り付けてきた派流はどれか。
(ア)井上流
(イ)花柳流
(ウ)若柳流
(エ)藤間流
京都・観光文化検定試験 第11回 3級 第39問
【正解】
(ア)井上流
丸暗記しましょう!
『井上流』は明治5年(1872)の京都博覧会の附博覧(余興)以来、祇園町の芸妓・舞妓による都をどりを振り付けてきた。
【都をどり】
祇園甲部の舞妓・芸妓の舞踊公演。明治2年の東京遷都で衰退した京都の繁栄策として、 明治5年開催の京都博覧会の余興に企画されたのが始まり。新趣向が好評を博して年中行事となり今や京の代表的な催し。
行催事開催日: 4月1日~30日
行催事開催場所: 東山区・祇園甲部歌舞練場
【井上流】
京都の祇園は天保以前は「祇園町」と「祇園新地」に区別されており、祇園町の方が格が数段上とみなされ、明治以降は「甲部」と「乙部」という呼び方に変わった。万亭や芸妓、舞妓のあるほうが「甲部」で、「都をどり」も祇園甲部に始まった。
初代の姪である二代目井上八千代は才女として知られ、当時花街の師匠として風靡した篠塚流に対抗するには、もはや風流舞ではおぼつかぬと見て、江戸期より伝わる上方舞を集大成し、金剛流の能舞や人形浄瑠璃の人形の型、さらに歌舞伎からも取材して新しい舞を考案した。
この独特の舞が「京舞井上流」であり、これが祇園町と手を結ぶきっかけとなり、祇園甲部の正式唯一の流派として三代目井上八千代に受け継がれた。
明治5年、京都初の展覧会である京都博覧会の余興として、祇園甲部「万亭」の杉浦治郎右衛門と井上流三代目井上八千代が「都をどり」を企画。その振付けに三代目が「京舞井上流」を採用したのをきっかけとして、現在では京都祇園甲部の芸妓舞妓が習うお座敷舞や「都をどり」の流儀としても知られている。
(出典元 ウィキペディア)
■祇園甲部歌舞練場
【アクセス】
京阪祇園四条駅・阪急河原町駅下車徒歩約10分
【所在地】
京都府京都市東山区祇園
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