【問題】関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が京都に築いた城は何か。
(ア)淀城
(イ)二条城
(ウ)亀山城
(エ)福知山城
京都・観光文化検定試験 第15回 3級 第6問
【正解】
(イ)二条城
京都検定3級合格必須の丸暗記文!
関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が京都に築いた城は二条城である
■二条城 東大手門
★関ヶ原の戦い
慶長5 (1600) 年美濃国関ヶ原で,徳川家康を大将とする東軍と石田三成を中心とする反徳川勢力の西軍が行なった会戦。この戦いののち家康が天下を握ったことから「天下分け目の戦い」ともいわれる。慶長3年豊臣秀吉が死ぬと,五大老,五奉行制に立脚していた豊臣政権は五大老筆頭の徳川家康が政権獲得への野心を示したことから動揺をみせはじめた。豊臣家内部にも対立があり,秀吉の正室である北政所 (きたのまんどころ) は徳川家康と,側室淀君は石田三成と手を結んだ。同4年五大老の一人として豊臣秀頼を補佐して家康との対立関係を調整していた前田利家が死ぬと家康の策動は表面化し,石田三成に反対する大名加藤清正や福島正則を味方につけることに成功し,対立は激化した。同5年6月上杉景勝が会津に引きこもって家康に抵抗したので軍を進めたが,これは三成の挙兵を挑発する策動であった。三成は主として毛利,宇喜多,島津,小早川など西国大名を糾合して同年7月挙兵した。家康は長男結城秀康を上杉と対陣させ,みずからは東海道を,秀忠には東山道を進ませ,同9月 15日関ヶ原で戦闘が始った。西軍には大将と目するものが存在せず足並みがそろわず苦戦し,そのうえ小早川秀秋の裏切りにあって総くずれとなった。戦後,石田三成,小西行長,安国寺恵瓊は処刑され,その他は降参。石田方に味方した大名への処罰はきびしく改易 91家 420万石,減封4家であった。また豊臣秀頼は摂津,河内,和泉を領する一大名にすぎなくなり,ここに徳川氏の覇権が確立した。
(出典元 ブリタニカ国際大百科事典)
■関ヶ原周辺略地図
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■二条城で正門として使われているのは?京都検定第13回3級過去問!
【 所在地】 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541番地
【アクセス】
電車
JR京都駅から
地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」から地下鉄東西線に乗り換え
「二条城前駅」下車
市バス 9・50・101号系統 ⇒ 「二条城前」下車
阪急 烏丸駅から
市バス 12・101号系統 ⇒ 「二条城前」下車
阪急 大宮駅から
タクシー,約5分
京阪 三条駅で地下鉄東西線「三条京阪駅」に乗り換え
「二条城前駅」下車
自動車
名神高速道路 京都東ICから,約30分 京都南ICから,約30分