【問題】明治維新後も京都にとどまって能楽界を支え、狂言の普及と大衆化に努めてきた茂山家の流派はどれか。
(ア)和泉流
(イ)鷺流
(ウ)大蔵流
(エ)金剛流
京都・観光文化検定験 第11回 3級 第37問
【正解】
(ウ)大蔵流
丸暗記しましょう!
狂言の大蔵流の茂山家は明治維新後も京都にとどまり、狂言の普及と大衆化に努めた。
【大蔵流とは】
大蔵流は狂言の流派の一つ。
猿楽の本流たる大和猿楽系の狂言を伝える唯一の流派です。
【茂山家】
茂山家は江戸時代以来京都で狂言師として活動してきました。
江戸後期に9世茂山千五郎正虎(初世千作。1810年~1886年)が登場して以降、大蔵流の名門としての地位が確固たるものになりまさはた。
正虎には3人の子がいましたが、上の2人は早世し、三男の市蔵は放蕩息子であったのです。
正虎が明治19年(1886年)に亡くなると、市蔵は悔い改めて父、正虎の門弟たちに芸を習い、翌々年に10世千五郎(正重。後に2世千作)を襲名しました。
正重は親しみやすい狂言を目指し、どのような小さな集会にでも気軽に出演し、低料金で狂言を演じました。
茂山千五郎家の家訓として知られる「お豆腐主義」は正重の代に確立したものです。
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◆関連過去問と解説はこちらをご覧ください
【問題】「お豆腐狂言」をモットーに、狂言の普及と大衆化に努める大蔵流狂言の家はどれか。
(ア)茂山千五郎家
(イ)山本東次郎家
(ウ)野村又...